コロナのせいで、修学旅行に行けなかった高校生たちの番組を観ていた。私が中学生の頃だった。
「私たちの青春は、勉強だけですか?」
そんなテロップが映し出される。番組の内容は、そんな青春をコロナに奪われた高校生たちの元に、有名アーティストがサプライズ訪問をするというものだった。
涙ぐみながら、コロナに奪われた行事への未練を滲ませる彼らを観て、私は、怒りに近いものを感じていた。
だって、「みんな」一緒なのに。
当時の私は、中学校の修学旅行にも行けなかった。林間学校も、職業体験も。コロナに関係なく、すべてに行けなかった。私、一人だけ。
だから、テレビの中の彼らが羨ましく思えたのだ。修学旅行に行けないのは、「みんな」一緒。勉強しか思い出がないのも、「みんな」一緒。
一人だけできないのと、「みんな」でできないのは、全然違う。私は前者で、彼らは後者だった。イベントのない思い出を共有できる友達がいるだけでも、充分なことのように思えたのだ。
今になって、自分が高校生の時にコロナ禍が来ていたら、きっとやり場のない悔しい思いをたくさんしただろうと想像がつく。けれど、当時の私は、怒っていた。というか、妬んでいた。「みんな」の中に入れない自分を、どこまでも悲観していたから。